農家の方々の努力
1980年代は、みかんの大暴落やオレンジの自由化など、日本のみかん農家にとって厳しい時期が続きました。そこで新たに注目される「ポスト甘夏」を探すべく、熊本の不知火農協(現JA熊本うき不知火支所)で試験園が設けられ、170種類以上の品種が集められます。その中には、後の不知火も含まれていたものの、酸味が強いことから、あまり評価されませんでした。
1985年、当時の試験園長が取り置きしていた不知火を偶然食べると、強すぎるとされていた酸味がほどよく抜け、抜群に美味しくなっていました。熟成することが不知火には必要であることがわかった瞬間でした。ここから、部署の新設や土地面積の急増など、農協をあげての産地づくりが始まります。
酸味を抜くための熟成方法や土壌の管理方法など、努力と工夫を繰り返すことで、その技術は徐々に確立されていきます。途中、台風に見舞われ果実が落ちてしまうこともありましたが、決して諦めることはなく、1990年に品種名「不知火」と命名されたのです。
翌1991年には東京市場に出荷され、鹿児島県や愛媛県、和歌山県などでも栽培される人気品種となっています。